公益社団法人 熊本県理学療法士協会

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「熊本を襲った地震と津波から減災の手がかりを考えよう」【シリーズ1】

熊本でも過去に大きな地震や津波があった!(その3)

 シリーズ3回目は熊本を襲った記録に残る災害の中でも最も甚大な被害をもたらした津波についてお話したいと思います。
熊本地方では、海域の狭い内湾型の有明海を西部に擁しています。津波を引き起こす地震の頻度はそれほど高くないとされていますが、史料に残るもっとも古い津波は、太平16年(744年)天草、八代、葦北地方を襲った推定マグニチュード7の地震によるものだとされています。この記録は災害の状況とともに続日本紀に記されており、雷雨とともに発生した地震は、田地290町、民家470軒が被災し、1500余名が流され、山崩れは280ヶ所を数え、圧死者は40余名にのぼったとされています。
 さて、災害の記録が多く残されている熊本を襲った最大の津波は、寛政4年(1792年)島原半島眉山山体崩壊に伴う有明海に発生した津波すなわち 「島原大変肥後迷惑」として語り継がれた津波です。この津波は海底で発生するプレート型の津波と異なり、熊本の対岸にある島原半島雲仙普賢岳の前方に位置する眉山といわれる山が、雲仙普賢岳の火山活動に伴う島原城下直下に発生した地震に誘引され山の東側斜面が大崩落し一気に有明海へ流入、島原城下を飲み込み約7000名が犠牲になったとされています。
現在の島原市面前に頭を突き出した九十九島も、この時崩落流入した土砂による海底小丘の1つと言われています。
この時の一連の災害で15000名の尊い命が奪われたとされていますが、このうち5000名余りは対岸の熊本、天草沿岸部を襲った、有明海へ流入した土砂によって引き起こされた津波による住民被害でした。被害状況及び津波遡上高については、1993年に発表された東京大学地震研究所都司嘉宣氏、日野貴之氏の報告に詳しく記載されています。この報告書は詳細な文書検証と現地調査によりその被害の全体像を明らかにしているだけでなく、津波による被害想定を検討する上でも意義深く、熊本地方沿岸部を主体とした津波災害の備えとして極めて貴重です。
 以下、熊本県沿岸部を襲った津波被害の実態(一部推定を含む)、発生した津波の遡上高と浸水域について資料をもとに整理をしてみます。

津波襲来
 眉山山体崩壊に伴う津波が発生したのは1792年5月21日。熊本県沿岸部に津波の第1波が襲来したのは夕刻を過ぎた夜8時半から9時頃と推定されています。頃は新月。真っ暗な闇夜を切り裂いて突如、夜のとばりの中で一息ついた住民を急襲したのです。運悪く新月、満潮時をまじかにひかえ、潮位は平均海面よりも2m余り高い状況にありました。被害が大きくなった背景にはこのような時の運が重なっていたものと考えられます。津波は島原半島と熊本県沿岸部を往復するように2から3回襲来したものとみられています。なお、津波は山体崩壊直後に発生し、15分程度で第1波が沿岸部を襲ったようです。
(つづく)
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