「熊本を襲った地震と津波から減災の手がかりを考えよう」【シリーズ1】
Date:2012/08/31
熊本でも過去に大きな地震や津波があった!(その2)
シリーズ1回目は1889年に発生した「熊本地震」による災害の概要についてお話しました。
2回目は、熊本地方に震源のある地震活動と地震による「ゆれやすさ」、「液状化」について少し話してみましょう。
1889年に発生した熊本地震は、都市部を襲った直下型の地震の代表ですが、こと熊本県内に震源を有する地震のみが災害をもたらす地震とは限りません。大分、宮崎、長崎、鹿児島などの隣接県で発生した地震や周辺海域で発生した地震であっても、その影響は甚大であり、幾度となく熊本県内に災害を引き起こしています。
1889年以降、おおよそ熊本県内域を震源とする地震は、2012年2月までの記録ですがマグニチュード4以上の地震だけでも145回を数えます。
特に1890年から1900年にかけては、わずか10年間にマグニチュード6クラスの地震が熊本県東部を中心に3回も連続して発生しています。最近では、1980年〜2000年までの20年間に発生したマグニチュード4以上の地震回数と2000年以降2012年までの12年間に発生したマグニチュード4以上の地震回数がすでに同数に達しており、2011年4月以降は県内震源の震度1以上の有感地震だけでも63回、内M4クラスの地震は3回を記録しています。東日本大震災の起因となった三陸沖地震が誘因となったのかもしれません。
震源域は、100年ほど前には活発であった熊本市周辺をはじめ熊本県東部域に代わり、ここ20年では、山鹿市、菊池市、合志市、菊陽町周辺一帯と八代市を中心として五木村、美里町、甲佐町、氷川町、葦北町一帯にその活動域が移動し、M3〜4クラスの地震が比較的多く発生する傾向が認めらます。
熊本県においては、布田川−日奈久断層が県内を北東から南西方向に斜めに走っています。また、熊本市直下には立田山断層が同じく北東から南西方向に金峰山の南側を迂回するように走り、1889年に発生した熊本地震はこの立田山断層の一部の活動によって引き起こされたものと考えられています。『熊本市地域防災計画 震災対策編(平成22年)』には、立田山断層、布田川断層帯に起因する地震想定が示されており、立田山断層でマグニチュード6.5クラス、布田川断層帯でマグニチュード7.2クラスの地震を想定し、前者で震度6弱、後者で震度6強(断層直下)の地震動を予測しています。
白川、緑川流域に発達した熊本平野、球磨川河口域に発達した八代平野においては、地質的にみると三角州性低地で構成され、砂や礫層で覆われた沖積層がその主体で、それに埋め立て地や干拓地が加わっています。このため、いったん大規模な地震が発生すると地盤の揺れが増幅されやすくゆれが大きく(一般にゆれやすさという)なる傾向があります。また、液状化現象もこれらの地域では多発する可能性が高く、熊本市中心部、白川河口に近い流域周囲や、緑川河口流域の低地、八代市では球磨川河口域の市街地及び干拓・埋め立て地沿岸周辺で被害が拡大する可能性が指摘されています。
これらの地域においては、地震動による揺れや液状化による建物の崩壊による被害に加え、津波が発生した場合の加重の災害を充分意識しておく必要があります。
(つづく)